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やたろう探し

上杉謙信の家臣 鬼小島弥太郎について、考えてみたり調べてみたりする趣味のブログです。

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文献での登場時期

( )なしが、「執筆された」とされている年代で、
( )ありが、幕府提出・書き写しなどの年代


1578年(天正6年)  上杉謙信 没
1600年(慶長5年)  関が原の戦い
1614年(慶長19年)  上杉三代日記 書印ありの日記・大阪冬の陣
1615年(慶長20年)  上杉将士書上 執筆・大阪夏の陣
1623年(元和9年)  上杉景勝 没
1645年(正保2年)  上杉定勝 没
 1669年(寛文9年5) (上杉将士書上 幕府へ提出)
 1688~1704年(元禄年中) (上杉三代日記 書き写し)
1694年(元禄7年)  越後頸城郡 春日山長尾謙信公古城の圖 ※鬼小島屋敷なし
1696年(元禄9年)? 謙信公御年譜(上杉家御年譜 謙信の部分)完成
1698年(元禄11年)   北越軍談 軍記物
1702年(元禄15年)  春日山城図 ※鬼小島屋敷なし
 1738年(元文3年)  (上杉三代日記 書き写し)
1836年(天保7年)   越後春日山古城圖
1849年(嘉永2年)   鶴城叢談
1823年以前(文永6年以前) 甲越軍記 軍記物
(江戸時代後期)    甲越信戦録  軍記物
江戸時代(幕末)以降  春日山城形圖博
 慶応4年        (春日山城形圖博 書替)
江戸時代(幕末)~明治時代初期 越州春日山城の圖
明治時代        天覧絵図
明治23~26年      温古の栞




上杉三代日記、上杉将士書上が執筆された時、まだ上杉景勝生きているのですよね…。
本人が全部、とは言わなくても近い人なりなんなりが目を通しているんじゃないかと。
その本には、小島弥太郎は記載あり。
後の世に伝わる小島弥太郎とイコールではなくても、同じ名前か近い名前の人はいたんじゃないかな…と現状思っています。

軍記物が流行るよりも前の時期かと思われますので、小島弥太郎が架空の人物であれば、
無理にいれなくてもいいんじゃないか?な時期でもありますし。
その後の書き写しでうっかり入れてしまったと考えても、
 1669年(寛文9年5) (上杉将士書上 幕府へ提出)
に関しては、幕府にも提出しているので現在に伝わっている「上杉将士書上」と大きくは異なっていないんじゃないかなーと思うのですが、どうなのでしょう?
軍記物などの影響で、どんどん話が盛られていくとかはあるかと思いますが。


気になるのは、甲陽軍鑑の成立日。
甲陽軍鑑上では、1575~1586年に書いた、と書かれており、
甲陽軍鑑の写本は1621年(元和7年)に書き写した、とのことです。
軍記物がすごい流行ったのは甲陽軍鑑の影響である、と言いますし。
そこ関係してきそうかな、とも思いますので、甲陽軍鑑も読んでみないといけませんね…。



ところで、大阪冬の陣・夏の陣の時期に上杉三代日記、上杉将士書上って書かれていたのですね。
戦争してても、それはそれとして事務仕事は必要であり、訥々と仕事が行われるのだなぁと関係のない感慨がありました。

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