http://yatarosagashi.sakeblog.net/%E5%8F%B2%E8%B7%A1/%E4%B9%99%E5%90%89%E5%9F%8E%EF%BC%88%E4%BC%9D%E3%83%BB%E5%9F%8E%E4%B8%BB%EF%BC%89乙吉城(伝・城主)
鬼小島弥太郎が城主であったと言われています。
乙吉城は本城もしくは夏城と言い、
乙吉城の馬場跡より少し行った山上が居城、もしくは冬城と言うそうです。
その名前から、
夏は乙吉城(夏城)で政務を行い冬城を住宅として、
冬は冬城が政務所兼住宅になったのではないでしょうか。
乙吉城(夏城)の方が戦には優れているけど、雪が降ったら登城するの大変すぎるんじゃないですかね。
1つ前の記事の
>龍穏院(伝・中興開基)<の裏手の山です。
お城の麓に城主さんの菩提寺があることが多いですね。
尾根上に切崖で区画された二つの曲輪からできており、山の麓には乙吉川が天然の水掘となっています。
規模も小さく簡略な縄張りとのことです。
文明年間の知行帳に乙吉を支配していた小島源三郎さんの名前が見られることから、おそらくその辺りには乙吉城は小島氏の城だったと考えられています。
>
行った時のレポ(別ブログ)<
住所:
新潟県長岡市乙吉町字堂ヶ峯
参考文献:温古の栞
上杉謙信謎解き散歩 花ヶ前盛明編著
曹洞宗 安楽山 龍穏院略史
長岡市史 資料編1
新潟市史 資料編3 長尾・飯沼氏等知行検地帳
2018/4/30更新(追記:青字)
2016/8/19更新
2016/8/17初稿
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