http://yatarosagashi.sakeblog.net/%E5%8F%B2%E8%B7%A1/%E4%B9%99%E5%90%89%E6%89%A3%E5%9F%8E%EF%BC%88%E4%BC%9D%E3%83%BB%E5%9F%8E%E4%B8%BB%EF%BC%89乙吉扣城(伝・城主)
乙吉扣城(おとよしひかえじょう)
鬼小島弥太郎の居城だと言われています。
乙吉城とセットのお城です。
乙吉城は夏城、乙吉扣城は冬城と呼ばれており、乙吉扣城は居城兼冬季期間の城だったようです。
周辺に城下、城口、馬場などの地名があり、複数の曲輪、土塁堀切があるそうなので、こちらの方が普段使われていた城なんじゃないでしょうか。
現在、乙吉神社がある場所の裏手の丘が城跡です。
登城口は乙吉神社ではなく、その近くの道からのもようです。
(行ったことはないけど、縄張り図見る限り)
神社さん入口
御手水があります。
横の祠が米沢(上杉家が越後から引っ越しした先)で特徴的な形状と有名なお墓形状と似ているのですが、何か関係性あるのでしょうか。
妙高・飯山・甲府でも見かけましたが、ここのが一番新しいですし、他のはお墓でしたがこちらは祠のようですね。
神社さん。ちゃんとお参りさせていただきました。
神社さんの右手裏。
この丘の上が乙吉扣城跡のはずです。
(ここからは登れません。
「長岡市史 資料編1」の縄張り図に、登城口も書かれてたので登りたい人はそちらを参考にしてください。)
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行った時のレポ(別ブログ)<
住所:新潟県長岡市乙吉町字岩村ほか
参考文献:温古の栞
長岡市史 資料編1
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