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やたろう探し

上杉謙信の家臣 鬼小島弥太郎について、考えてみたり調べてみたりする趣味のブログです。

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名前

一般的に言われているのは「鬼小島 弥太郎(おにこじま やたろう)」ですけど、名前がいっぱいいある…。

ので、まとめてみます。


●名字
名字:小島、小嶋、鬼小島、鬼小嶋、木島(こじま)
小島=小嶋です。「嶋」と「島」は同じ文字です。
同じ文字だけど見た目が違うものを異体字と言うそうです。

「鬼小島」は鬼のように強い小島だから、とつけられたあだ名と言われてます。
謙信に「鬼」の字を賜ったという逸話と、
ソース未確認ですが、周りから言われたのを気に入って実際に名字にしちゃった…と逸話もあるそうです。


木島は、同じ本(謙信公御年譜)で小島とも記載があるため解釈に悩んでいます。
誤字にしては、数ページにあたり木島と記載あるので。

※木島は鬼小島のことだ、と言う文面があるため、「鬼小島弥太郎」のことで合っているとは思います。


●通称(字)
弥太郎、彌太郎
弥太郎=彌太郎です。「弥」の旧字体が「彌」。

●実名(諱)
貞興、一忠、政直、(虎秀)、貞弘、家正、(一宗)
文献によって色々。
※( )になっているものは「一本xx」と書かれていたもの。文面的に「またはxx」と言う意味かと思いますが、勉強不足で確信がもてないので、( )としています。
※昔の人は、通称を世継ぎに継がせることがあるので、同じ「小島弥太郎」でも息子とか孫とかもいるのかも…。あと実名変えてしまう人もいますし。謙信とか。

●異名(現在と同じ意味のあだ名)
度々助


●文献による違い
・上杉三代日記…上杉資料集下巻
 鬼小島弥太郎一忠

・上杉将士書上…上杉資料集下巻
 鬼小島弥太郎平一忠

・鶴城叢談(かいじょうそうだん)…山形県史資料編3
 鬼小島弥太郎政直(一本虎秀)

・甲越軍記
 小島彌太郎…初期登場時
 鬼小島彌太郎…どこから「鬼小島」に変わったのか未確認。謙信の部下になる辺りから…?

・甲越信戦録…戦国哀歌 川中島の戦い 甲越信戦録 現代語訳・解説付 岡澤由往訳
 小島弥太郎一忠

・温古の栞
 小島彌太郎貞弘
 鬼小島彌太郎貞弘

・北越軍談
小島弥太郎家正(または一忠)
鬼小島弥太郎家正
小島弥太郎家正(一本一宗)
僚友からの異名:度々助
※「器量・骨幹諸人に勝れ、拳を以て兜の鉢を拗挫く(ひねりくじく)程強力、毎度の戦場に攬(とり)て揮ふ故に、僚友是を呼て、度々助と異名す。」
毎回毎回戦場で強いよな!→毎回毎回→度々→あだ名っぽく「度々助」…なのかな?と自分は思ってます。

・謙信公御年譜(上杉家御年譜一)
小嶋弥太郎、木島弥太郎、
(実名:貞興と記載されていると自分のメモにはあったのですが、確認中…)



2020.09.24更新
2016年12月19日更新
2016年9月23日更新
2016年8月13日初稿
※最新更新部は青字

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生まれ

生まれについても、複数の逸話があります。
こちらも列挙。
詳細は別記事にて記載します。

・府内(新潟県 春日山周辺 直江津)の侍(甲越軍記)
 ※府中が直江津、府内が直江津含めた春日山や新井辺り?
  違うようなら指摘ください。


・乙吉(新潟県 長岡)(龍穏院略史・温故の栞)


2020.09.22追記(青字部分)
2017.11.05初稿

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死亡や出奔

死亡・出奔などの最後の消息として言われている逸話が複数あります。
聞いたことがあるものを、列挙します。
それぞれについての詳細は別途記事で書くつもりです。

・謙信の代に出奔し、会津に仕えた。(北越太平記)

・景勝の代に牢人。(上杉将士書上)

・永禄三年正月一九日 金澤原にて討死。(温故の栞)

・永禄三年六月一三日 正月一九日金澤原合戦の帰陣中に受けた毒矢が原因で死亡。(龍穏院略史)

・永禄四年九月十日 川中島で深手を負い、春日山に帰る途中で足手まといにならないよう割腹。(史跡にある看板に記載あり。元ソースはまだ未確認)

・謙信死亡後に出家(ソース未確認)

・謙信死亡後に帰農。景勝会津移封に伴い会津について行った(ソース未確定)

他にも見つけたら追記します。



2018/4/30追記(青字部分)
2017/11/05追記
2017/7/2初稿

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人柄

●乙吉城主 鬼小島彌太郎貞弘
剛力にて非凡の行状あり。
温厚篤実にて神仏を敬信し、領民を愛撫すると一子の如し。
 ~温古の栞より

弘治二丙辰八月 貞弘署名の家中法度書では、
 上を敬い、下々を憐み、朋輩交わりよくしなくてはならない、
 約束は守りなさい、
 常に戦場と思い、住居衣服食事を驕らず、武具はよくよく訓練しなければならない
 別腹でも家督は長男に譲りなさい、
 出陣の際、下々に乱暴してはならない、
 目下の者でも雪道では片足よけてあげなさい、
(家中法度の一部、訳です。)
など、この文献の鬼小島は、領民や家臣を大事にし、
敵に対しても卑怯非道な行いを良しとしない、とても立派な武士…と言う雰囲気です。

※弘治二年八月:上杉謙信が出家しようと家出していた先から帰ってきて、上杉家中の内部分裂を収めた頃。


参考文献:温古の栞

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命日・亡くなった場所

※亡くなった場所、亡くなった日と言うのは文献により複数あります。

●乙吉城主 鬼小島彌太郎貞弘

永禄三申年正月十九日
栃尾金澤原にて、奮戦討死
※永禄三年…上杉謙信31歳(数え年)、二度目の上洛の次の年です。

参考文献:温古の栞

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