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やたろう探し

上杉謙信の家臣 鬼小島弥太郎について、考えてみたり調べてみたりする趣味のブログです。

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人柄

●乙吉城主 鬼小島彌太郎貞弘
剛力にて非凡の行状あり。
温厚篤実にて神仏を敬信し、領民を愛撫すると一子の如し。
 ~温古の栞より

弘治二丙辰八月 貞弘署名の家中法度書では、
 上を敬い、下々を憐み、朋輩交わりよくしなくてはならない、
 約束は守りなさい、
 常に戦場と思い、住居衣服食事を驕らず、武具はよくよく訓練しなければならない
 別腹でも家督は長男に譲りなさい、
 出陣の際、下々に乱暴してはならない、
 目下の者でも雪道では片足よけてあげなさい、
(家中法度の一部、訳です。)
など、この文献の鬼小島は、領民や家臣を大事にし、
敵に対しても卑怯非道な行いを良しとしない、とても立派な武士…と言う雰囲気です。

※弘治二年八月:上杉謙信が出家しようと家出していた先から帰ってきて、上杉家中の内部分裂を収めた頃。


参考文献:温古の栞

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命日・亡くなった場所

※亡くなった場所、亡くなった日と言うのは文献により複数あります。

●乙吉城主 鬼小島彌太郎貞弘

永禄三申年正月十九日
栃尾金澤原にて、奮戦討死
※永禄三年…上杉謙信31歳(数え年)、二度目の上洛の次の年です。

参考文献:温古の栞

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コメント

コメントありがとうございます。
のんびり更新ですが、少しずつ更新していきますのでよろしくおねがいしますemoji

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上杉謙信並二臣像

謙信と2名の家臣を描いたと言われ、
太刀を持ち正座をしている方が鬼小島弥太郎と伝えられており、
もう片方が、直江山城守と伝えられている。
永禄九年(1566) 謙信37歳の時、常安寺に寄進したと言われてるとのことです。
(栃尾観光案内に記載あり)


山城守…だと直江兼続でしょうか?
もし直江兼続のことであれば、彼はまだ7歳なので描かれるはずはありません。
直江大和守景綱の間違いではないかと思うのですが、他にも直江山城守さんいたのでしょうか…?




新潟県文化財
新潟県長岡市 栃尾 常安寺蔵

参考文献:未確認
参考サイト:>長岡市ウェブサイト< 
 上杉謙信並二臣像の写真と説明が掲載されています。

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鬼小島弥太郎 戦死の地 天神山跡

新潟県長岡市 栃尾 おおの苑です。
ここで戦死したと伝えられています。


まだ行ったことはないので、写真なしです。


参考文献:未確認
参考サイト:>栃尾観光協会< 
 上記サイトの、とちお観光マップ(市街地)に場所記載あり。

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