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やたろう探し

上杉謙信の家臣 鬼小島弥太郎について、考えてみたり調べてみたりする趣味のブログです。

文献の信憑性とか

文献の信憑性とかって、どこでみわければいいのでしょうかね。
古ければ信憑性高い!ってものでもないし。
一次史料も当時の人の勘違いとか誤解とか、わざと嘘情報で撹乱狙ったりとか、そういうのありますし…。

研究家さんの書籍とかで、信憑性が高いものとして挙げられているものがやはりよいのだろうなとか思うのですが…。
軍記物はあくまでも物語!と思っていると、意外と本当のことも多いのではないか、って研究結果が発表されることもあるようで。

とりあえず今はひたすら調べてみようと思っています。

ただ、軍記物語とかに関しては、少なくとも「書かれた当時、こんな風に思われてた」もしくは「書かれたことにより、その後そう思われ始めた」ってことは言えそうですね。
現在でも、人気歴史漫画やゲーム、小説、ドラマで、その人物の前後の評価って変わりますし。

江戸時代も好きなので、それはそれで面白そうかな。時代背景もあるでしょうし。

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人柄

●乙吉城主 鬼小島彌太郎貞弘
剛力にて非凡の行状あり。
温厚篤実にて神仏を敬信し、領民を愛撫すると一子の如し。
 ~温古の栞より

弘治二丙辰八月 貞弘署名の家中法度書では、
 上を敬い、下々を憐み、朋輩交わりよくしなくてはならない、
 約束は守りなさい、
 常に戦場と思い、住居衣服食事を驕らず、武具はよくよく訓練しなければならない
 別腹でも家督は長男に譲りなさい、
 出陣の際、下々に乱暴してはならない、
 目下の者でも雪道では片足よけてあげなさい、
(家中法度の一部、訳です。)
など、この文献の鬼小島は、領民や家臣を大事にし、
敵に対しても卑怯非道な行いを良しとしない、とても立派な武士…と言う雰囲気です。

※弘治二年八月:上杉謙信が出家しようと家出していた先から帰ってきて、上杉家中の内部分裂を収めた頃。


参考文献:温古の栞

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命日・亡くなった場所

※亡くなった場所、亡くなった日と言うのは文献により複数あります。

●乙吉城主 鬼小島彌太郎貞弘

永禄三申年正月十九日
栃尾金澤原にて、奮戦討死
※永禄三年…上杉謙信31歳(数え年)、二度目の上洛の次の年です。

参考文献:温古の栞

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コメント

コメントありがとうございます。
のんびり更新ですが、少しずつ更新していきますのでよろしくおねがいしますemoji

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上杉謙信並二臣像

謙信と2名の家臣を描いたと言われ、
太刀を持ち正座をしている方が鬼小島弥太郎と伝えられており、
もう片方が、直江山城守と伝えられている。
永禄九年(1566) 謙信37歳の時、常安寺に寄進したと言われてるとのことです。
(栃尾観光案内に記載あり)


山城守…だと直江兼続でしょうか?
もし直江兼続のことであれば、彼はまだ7歳なので描かれるはずはありません。
直江大和守景綱の間違いではないかと思うのですが、他にも直江山城守さんいたのでしょうか…?




新潟県文化財
新潟県長岡市 栃尾 常安寺蔵

参考文献:未確認
参考サイト:>長岡市ウェブサイト< 
 上杉謙信並二臣像の写真と説明が掲載されています。

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