忍者ブログ

やたろう探し

上杉謙信の家臣 鬼小島弥太郎について、考えてみたり調べてみたりする趣味のブログです。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

絵本和漢誉 葛飾北斎

先日、両国の北斎ミュージアムに行ったところ、鬼小島の絵があったので紹介。

絵本和漢誉
鬼小嶋彌太郎 西法院赤坊主 大鐘を争う図
葛飾北斎


ARC古典籍ポータルデータベース
で観れるみたいです。

鬼小島と破戒僧と鐘を奪い合っている浮世絵です。
鬼小島が凛々しく肌の白いイケメン。

絵本和漢誉は、江戸時代に書かれたイラストメインの本で、日本と中国で有名な武士の戦いなどを描いた本らしいです。
なので、何か有名な戦いなのかな…と思ったのですが、鬼小島と妖怪赤坊主の戦いだとか。
……………妖怪…………。
林泉寺の鐘が赤坊主に盗まれたので、それを取り返しに単身戦う鬼小島。
宗教で有名な上杉謙信の菩提寺の鐘盗もうとするとはなかなか根性のある妖怪だなと思いました。

ネットでは、上記のような逸話といくつか見かけたのですが、ソースが見当たらなかったので、こちらの元ネタになったお話見付けてみたいですね。

拍手[2回]

PR

英岩寺(伝・最後の地、墓)

永禄四年九月十日の川中島合戦にて、上杉謙信に従い追っ手から逃れ安田の渡しから千曲川を渡ったが、前日深手を負った鬼小島は主君を逃してここで割腹した、と言われているそうです。

鬼小島が亡くなった場所は、英岩寺さんではなく「市ノ口から小佐原に差し掛かった場所」であり、鬼小島が亡くなったため「鬼が峯」と呼ばれている土地だそうです。
英岩寺さんから、春日山(謙信の本拠地)に向かった数百m先の場所らしいですね。
今度行ってみたいです。

文禄四年に、鬼小島ゆかりの者が英岩寺さんにお墓を建てたといわれているそうです。








住所:長野県飯山市大字飯山市ノ口3399
参考文献:未確認
参考サイト:信州いいやま観光局 英岩寺

拍手[0回]

鬼小島弥太郎 戦死の地 天神山跡

新潟県長岡市 栃尾 おおの苑です。
ここで戦死したと伝えられています。

まだ行ったことはないので、写真なしです。行ってきました。

鬼小島弥太郎戦傷地 
天陣山跡


栃尾城から川を1つ通った先の少し丘になっている場所です。
永禄三年正月の刈谷田川合戦の帰陣の際に、合戦で一騎打ちで戦った広瀬十郎の子二人に襲い掛かられ、勝ったものの深手を負って、ここで割腹した…と言われているそうです。








鬼小島弥太郎の亡くなった場所はいくつかありますが、亡くなった場所や記載されている内容から、こちらの鬼小島は「温古の栞」や「曹洞宗 安楽山 龍穏院略史」に記載のある鬼小島であろうと考えられます。
「温古の栞」や「曹洞宗 安楽山 龍穏院略史」では、合戦は「金澤原合戦」。
「曹洞宗 安楽山 龍穏院略史」では割腹ではなく毒矢が原因と記載ありますね。
(鬼小島弥太郎戦傷地看板の深手 = 毒矢か?)
栃尾城の要害にもなっている西谷川の0.5~1㎞先に刈谷田川があり、その先が(現在の住所ですが)金沢です。
おそらくそこが金澤原ではないかと思いますので、刈谷田川合戦=金澤原合戦なのではないでしょうか。
(もし違ったらすみません。その場合はわかった時点で修正入れておきますね)



住所:新潟県長岡市栃尾 デイサービスセンターおおの苑 裏手
参考文献:未確認
参考サイト
栃尾観光協会 とちお観光マップ(市街地)

※おおの苑と言う施設の土地です。迷惑などおかけしないように、注意!
※栃尾城から歩いて行けます。通常使用されている施設ですし詳細な住所は未記載ですが、上記記載の栃尾観光協会さんのサイトや、栃尾観光パンフレットの地図に記載ありますので、そちらをご覧ください。

2018/9/20更新(追記:青字)
2016/9/18初稿

拍手[5回]

乙吉扣城(伝・城主)

乙吉扣城(おとよしひかえじょう)
鬼小島弥太郎の居城だと言われています。

乙吉城とセットのお城です。
乙吉城は夏城、乙吉扣城は冬城と呼ばれており、乙吉扣城は居城兼冬季期間の城だったようです。
周辺に城下、城口、馬場などの地名があり、複数の曲輪、土塁堀切があるそうなので、こちらの方が普段使われていた城なんじゃないでしょうか。

現在、乙吉神社がある場所の裏手の丘が城跡です。
登城口は乙吉神社ではなく、その近くの道からのもようです。
(行ったことはないけど、縄張り図見る限り)

神社さん入口


御手水があります。
横の祠が米沢(上杉家が越後から引っ越しした先)で特徴的な形状と有名なお墓形状と似ているのですが、何か関係性あるのでしょうか。
妙高・飯山・甲府でも見かけましたが、ここのが一番新しいですし、他のはお墓でしたがこちらは祠のようですね。
 

神社さん。ちゃんとお参りさせていただきました。

 

神社さんの右手裏。
この丘の上が乙吉扣城跡のはずです。
(ここからは登れません。
「長岡市史 資料編1」の縄張り図に、登城口も書かれてたので登りたい人はそちらを参考にしてください。)
 


行った時のレポ(別ブログ)


住所:新潟県長岡市乙吉町字岩村ほか
参考文献:温古の栞
 長岡市史 資料編1

拍手[0回]

龍穏院(伝・中興開基)

鬼小島弥太郎が、龍穏院さんの中興開基(寺を再建した人)と言われているそうです。


鬼小島が亡くなった際に、謙信が鬼小島の父に命じて鬼小島の菩提寺としたそうです。
鬼小島の供養塔の他、墳墓、観世音木像、薙刀、鐙が保存されています。



境内に昭和に建設された鬼小島の供養塔があります。
山門入ってすぐの左側。
 

墳墓
鬼小島のお墓と言われています。

一般檀家さんのお墓の中にあります。崖ギリギリの場所にありました。
地震により崖から転落・石垣なども大破した…とのことなので、元々の形とは少し変わってしまっているようですね。


参道と山門。
苔むしてて素敵。


本堂。
 
本堂の中には、鬼小島の守り本尊と伝えられる観世音木像(馬頭観世音菩薩坐像)が祀られています。
地震で大破したとのことですが、素人目にはどこが壊れているのかまではわかりませんでした。
ちなみに、御本堂の中がシックでかっこよかったです。


こちらのお寺さんの裏手の山が乙吉城と言い、鬼小島の城だと言われています。
元は乙吉城の東に龍穏院さんはあったそうですが、鬼小島が亡くなった時に父三郎兵衛さんによって乙吉城の東南(現在の位置)に移されたとのことです。



>龍穏院行った時のレポ(別ブログ)<
龍穏院行った時のレポ2(別ブログ)


住所:新潟県長岡市乙吉町3316

参考文献:温古の栞
 上杉謙信謎解き散歩 花ヶ前盛明編著
 曹洞宗 安楽山 龍穏院略史
 安楽山・梅樹林・龍穏院の歴史を訪ねる~No2、3~


2018/4/30更新(追記:青字)
2016/8/19更新
2016/8/17初稿

拍手[2回]

ブログ内検索

最新記事

(08/16)
(08/08)
(09/24)
(09/22)
(09/22)

バーコード