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やたろう探し

上杉謙信の家臣 鬼小島弥太郎について、考えてみたり調べてみたりする趣味のブログです。

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メモ

自分用のメモ。


・直峰城(新潟県安塚町)
 直峰城の麓に移住したという伝承か逸話があったはず。
 数年前に登城したのでUPしようとしたのですが、
 ソース見失ったので探し中です。

・四柱神社・四柱宮神社(新潟県妙高市)
 高柳館(伝・屋敷跡)の近くの神社さんです。
 同じ名前の小さな神社が付近に2,3ありまして、小島弥太郎の遺品と言われるものがある…と言われていたはず。
 こちらも数年前に現地に行っているのですが、ソース見失い中なので、見つけたらUPしますね。
 


・”歴史”とは少し違う内容
 歴史的な内容ではなく、軍記としての記載や、
 小島弥太郎の逸話と聞いていたが、読んだ書物(軍記物語)では
 別人(小島某であったり、名前が似てる別人も確認)と言うのも
 いくつか見たので、そこもまとめると面白いかなと思ってます。
 
 上杉謙信に忠実な無骨武将なイメージありますが、
 軍記物語によっては謙信に対しても不遜だったりして面白いです。
 謙信に追放された(?)と言う伝承もあったと思うのですが、この小島弥太郎なら仕方がないかなと思えたり。
 追放?クビ? 確か出奔して凹んでいる伝承があったはずです。

 今気が付いたけど、「死亡や出奔」記事に、追放のこと書いてないですね。うっかりしてた。
 これもソース再確認したらUPしますね。

ソースど忘れしているものが多い。

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名前

一般的に言われているのは「鬼小島 弥太郎(おにこじま やたろう)」ですけど、名前がいっぱいいある…。

ので、まとめてみます。


●名字
名字:小島、小嶋、鬼小島、鬼小嶋、木島(こじま)
小島=小嶋です。「嶋」と「島」は同じ文字です。
同じ文字だけど見た目が違うものを異体字と言うそうです。

「鬼小島」は鬼のように強い小島だから、とつけられたあだ名と言われてます。
謙信に「鬼」の字を賜ったという逸話と、
ソース未確認ですが、周りから言われたのを気に入って実際に名字にしちゃった…と逸話もあるそうです。


木島は、同じ本(謙信公御年譜)で小島とも記載があるため解釈に悩んでいます。
誤字にしては、数ページにあたり木島と記載あるので。

※木島は鬼小島のことだ、と言う文面があるため、「鬼小島弥太郎」のことで合っているとは思います。


●通称(字)
弥太郎、彌太郎
弥太郎=彌太郎です。「弥」の旧字体が「彌」。

●実名(諱)
貞興、一忠、政直、(虎秀)、貞弘、家正、(一宗)
文献によって色々。
※( )になっているものは「一本xx」と書かれていたもの。文面的に「またはxx」と言う意味かと思いますが、勉強不足で確信がもてないので、( )としています。
※昔の人は、通称を世継ぎに継がせることがあるので、同じ「小島弥太郎」でも息子とか孫とかもいるのかも…。あと実名変えてしまう人もいますし。謙信とか。

●異名(現在と同じ意味のあだ名)
度々助


●文献による違い
・上杉三代日記…上杉資料集下巻
 鬼小島弥太郎一忠

・上杉将士書上…上杉資料集下巻
 鬼小島弥太郎平一忠

・鶴城叢談(かいじょうそうだん)…山形県史資料編3
 鬼小島弥太郎政直(一本虎秀)

・甲越軍記
 小島彌太郎…初期登場時
 鬼小島彌太郎…どこから「鬼小島」に変わったのか未確認。謙信の部下になる辺りから…?

・甲越信戦録…戦国哀歌 川中島の戦い 甲越信戦録 現代語訳・解説付 岡澤由往訳
 小島弥太郎一忠

・温古の栞
 小島彌太郎貞弘
 鬼小島彌太郎貞弘

・北越軍談
小島弥太郎家正(または一忠)
鬼小島弥太郎家正
小島弥太郎家正(一本一宗)
僚友からの異名:度々助
※「器量・骨幹諸人に勝れ、拳を以て兜の鉢を拗挫く(ひねりくじく)程強力、毎度の戦場に攬(とり)て揮ふ故に、僚友是を呼て、度々助と異名す。」
毎回毎回戦場で強いよな!→毎回毎回→度々→あだ名っぽく「度々助」…なのかな?と自分は思ってます。

・謙信公御年譜(上杉家御年譜一)
小嶋弥太郎、木島弥太郎、
(実名:貞興と記載されていると自分のメモにはあったのですが、確認中…)



2020.09.24更新
2016年12月19日更新
2016年9月23日更新
2016年8月13日初稿
※最新更新部は青字

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鬼が峯(伝・最期の地)

飯山の、鬼小島弥太郎が自害した場所と言われている鬼が峯(推定)です。
この鬼小島は、 >英岩寺< さんにお墓がある鬼小島です。
この地で亡くなり、近くの英岩寺さんにてのちにお墓を建てられたと言われています。


参考文献の内容と、地元の方及び、英岩寺の住職さんにお尋ねした内容から、多分ここではないか、と探したところです。
(もし正確に知ってる方いたら指摘いただけると。)

・市ノ口から小佐原に差し掛かった場所
・トンネルを越えたところ
・川を越えて、少し高くなった場所
及び参考文献内容から。


峯と言うか丘でした。
昔であれば、草木で視界も悪かったかと思いますので、
この丘上ったところでようやく春日山へあと山一つ越えれば…となるような場所のように思いました。




2019.09.21撮影
(写真の先の森ではなく、撮影者が立っている場所が鬼が峯のはず。)


住所:長野県飯山市(おそらく、大字小佐原)
参考文献:長岡郷土史、頚城文化、郷土の新井

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生まれ

生まれについても、複数の逸話があります。
こちらも列挙。
詳細は別記事にて記載します。

・府内(新潟県 春日山周辺 直江津)の侍(甲越軍記)
 ※府中が直江津、府内が直江津含めた春日山や新井辺り?
  違うようなら指摘ください。


・乙吉(新潟県 長岡)(龍穏院略史・温故の栞)


2020.09.22追記(青字部分)
2017.11.05初稿

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