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やたろう探し

上杉謙信の家臣 鬼小島弥太郎について、考えてみたり調べてみたりする趣味のブログです。

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乙吉城(伝・城主)

鬼小島弥太郎が城主であったと言われています。


乙吉城は本城もしくは夏城と言い、
乙吉城の馬場跡より少し行った山上が居城、もしくは冬城と言うそうです。
その名前から、
夏は乙吉城(夏城)で政務を行い冬城を住宅として、
冬は冬城が政務所兼住宅になったのではないでしょうか。
乙吉城(夏城)の方が戦には優れているけど、雪が降ったら登城するの大変すぎるんじゃないですかね。


1つ前の記事の>龍穏院(伝・中興開基)<の裏手の山です。
お城の麓に城主さんの菩提寺があることが多いですね。


尾根上に切崖で区画された二つの曲輪からできており、山の麓には乙吉川が天然の水掘となっています。
規模も小さく簡略な縄張りとのことです。
文明年間の知行帳に乙吉を支配していた小島源三郎さんの名前が見られることから、おそらくその辺りには乙吉城は小島氏の城だったと考えられています。



行った時のレポ(別ブログ)

住所:新潟県長岡市乙吉町字堂ヶ峯

参考文献:温古の栞
 上杉謙信謎解き散歩 花ヶ前盛明編著
 曹洞宗 安楽山 龍穏院略史
 長岡市史 資料編1
 新潟市史 資料編3 長尾・飯沼氏等知行検地帳


2018/4/30更新(追記:青字)
2016/8/19更新
2016/8/17初稿

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春日山城(上杉謙信の居城

鬼小島弥太郎の主である、上杉謙信の居城です。
古地図では、春日山城城内に家臣屋敷跡が多くあり、鬼小島弥太郎屋敷跡もあります。


「鬼小島弥太郎屋敷」との記載のある古地図は下記の通り。
・春日山古城圖 天保7年(1836年)
・春日山城形圖博 慶応4年7月書替
・春日山城形圖博 江戸時代(幕末)以降
・越州春日山城の圖 江戸時代(幕末)~明治時代初期
・天覧絵図 明治時代


挙げた古地図から見ると、上図の「赤の点線」で囲った辺りのどこかが鬼小島弥太郎屋敷跡と予想されます。
現在の春日山城で「柿崎景家屋敷跡」と看板のある辺りです。
屋敷後は、どの古地図でも上条弥五郎、柿崎和泉守、黒金上野之助ら(他にも何名か)とほぼ同じ位置に描かれています。
越後春日山古城圖 天保7年(1836年)では、上条弥五郎、柿崎和泉守よりも一段下の曲輪に黒金上野之助と共に記載あり。
位置は赤丸部分のように見えました。


なお、鬼小島屋敷の見れなかった絵図は下記の通り。
・春日山長尾謙信公古城の圖 元禄7年(1694年)
 春日山城最古の図と言われている。
 一部家臣屋敷の記載あり。ただし「春日山古城圖 天保7年」に比べだいぶ少ない。
 景勝屋敷が現春日山神社近くに記載されている。この辺りを「中城」と呼んだといわれていること、景勝が「御中城様」と呼ばれていることから、比較的正確な位置ではないか。
・春日山城図 元禄15年(1702年)
 一部家臣屋敷の記載あり。
 景勝屋敷がなくその場所は「奥」となっている。
 柿崎・黒金屋敷跡が黒金門側に位置されており、後の絵図で共通される大手道・桑取道につながる場所と異なっている。
 黒金門がどの年代から呼ばれているのかの調査が必要となるが、黒金屋敷があったことから名づけられたのであれば、位置関係としてはこちらの方が正しいように思える。
 「春日山長尾謙信公古城の圖 元禄7年」に見られる「鉄上野」は「黒金上野」と同じ人物を指すと考えられる。


…春日山城の鬼小島屋敷が書かれた地図自体の信憑性が私の中でだいぶ疑問になってきました。
でも、それ以外の地図の信憑性がわかれば、記載されている家臣屋敷位置などから長尾上杉家中の情報もわかり、それはそれで面白そうですね。
あと、なんでここまで変化したのかな?とか。
改めて情報精査してこっちが正しいのでは?となったとか、なんらかの意図があったとか、軍事施設でもあるから色々情報ごまかしてたりとか。
米沢藩にその時期何があったのかとかも調べると意図も想像できるかも?
「中城」「黒金門」がいつから使われてたかを調べてみたいです。




 
 

>2016年1月の春日山城レポ(別ブログ)<
>2015年8月の春日山城レポ(別ブログ)<
>2014年5月の春日山城レポ(別ブログ)<




住所:上越市大豆1743

参考文献:
 越後頸城郡 春日山長尾謙信公古城の圖 元禄7年(1694年)
 春日山城図 元禄15年(1702年)
 越後春日山古城圖 天保7年(1836年)
 春日山城形圖博 江戸時代(幕末)以降
 春日山城形圖博 慶応4年7月書替
 越州春日山城の圖 江戸時代(幕末)~明治時代初期
 天覧絵図 明治時代




2016/8/23更新
2016/8/18更新

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高柳館(伝・屋敷跡)

伝・鬼小島弥太郎屋敷跡


伝承:地元の伝承では鬼小島弥太郎屋敷跡
発掘結果:出土遺物、築造形態から上杉謙信時代よりももっと遡った中世前半居館跡と考えられている。
その他:関川・矢代川に挟まれた集落にある。館の内・馬場・外堀と言う地名が残っている。


株式会社アルゴスさん(新潟県妙高市東陽町1-1) の目の前の野球場?みたいな広場で、
すぐそばに「やたろう橋」と言う鬼小島弥太郎の名前から取った橋もあります。

  

やたろう橋
鬼小島と思われる武者絵と、鬼小島の逸話が橋に書かれていました。





縄張り図書いてみました。(外側だけ歩いての歩測なので、不正確かも。)

現在はだいぶ開発が進んで、遺構は消えて行ってしまっているようです。
図の上に向かって、坂になって下がって行っています。
長方形になった部分(曲輪)内部は多分平坦のように見えました。

新井市史上巻にもっと広い範囲を描いた縄張り図がありますので、興味のある方は読んでみると楽しいかも。


2015年8月に行った時の記事(別ブログにリンク)



住所:株式会社アルゴスさん(新潟県妙高市東陽町1-1)と
 新潟県妙高市高柳1丁目17-11 の間の、野球場?っぽい広場 
 ※正確な住所不明。

参考文献:新井市史 上巻
 上杉謙信謎解き散歩 花ヶ前盛明編著


2006/8/17更新

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